教育勅語と祖母の思い出
公開日:
:
最終更新日:2017/03/14
et cetera-life, 家族のスケッチ
このところ教育勅語が話題に上っています。
思い出したことがあります。
~~~~~~~~~
むかしむかし子供ころ、
祖母から、
「教育勅語を学校で教えてないから、そんなに愛情がないんだ」
と言われました。
大人にとって都合がよい、
自分たちの言うことを尊敬して
言うことを聴いて、
その通りに行動できる人、
感情や価値観もその範囲である人
を求めるものなんだなあ、と思った記憶があります。
尊敬、愛情などを強要され、
大人が望む気持ち(さらにそのベースの価値観や生き方)にならないといけないと言われたように感じたのでした。
~~~~~~~~~
単純な文字としてのことばだけでなく、
文章全体が持っている目的、指向性、エネルギーや
文章が使われてきた歴史によって持つことになったエネルギーまで
みないといけないのじゃないか、と思います。
「べきこと」を
「自然とそうしなさい」
その時代背景としての目的から、
統制するためには必要だったかもしれないけれど、
自分たちの思いや言葉をまとめたものではないだけに、
なかなか受け入れづらく思います。
~~~~~~~~~
さらに、この伝える基本的構造が、
「明治から昭和のかなり後半までの教育のかたち」
「特に戦時中に効果を発揮したかたち」
の上意下達なのが具合が悪い。
おそらく、新しい教育指導要領でのアクティブ・ラーニングの言い換え
「主体的・対話的で深い学び」
ではおそらく同じ結論にはならないでしょう。
枠や制限のない
「主体的・対話的で深い学び」
これでないと、「学び」ではありません。
~~~~~~~~~
話を戻して。
15年ほど前に亡くなりました。
祖母は、今でも好きなんですよ。
関連記事
-
-
「見える望みは望みではありません。」
> 見える望みは望みではありません。……われらに見えぬものを望む以上、忍耐して待つのです。 > 「
-
-
学問になる前の感受性
リンク先の記事を是非読んでほしい。 爆笑問題・太田、障害者施設殺傷事件の犯人「意思疎通でき
-
-
子供が伝わる言葉、言い方、もっと応用が利く伝え方は?
幼児の勘違い、防災のヒントに 幼稚園が27年記録http://digital.asahi.com/a
-
-
車に轢かれそうになりました
車に轢かれそうになりました。 ~~~~~~ ロボット教室からの帰り道。 夕方の7時。雨が降って
-
-
ロボット教室の生徒諸君。
ロボット教室の生徒諸君。 君ならできる。 これは今やっていることの応用でできる。 ただし、
-
-
ロボット教室の生徒諸君。その3
ロボプロ講座2年目冬タームをどんどん進んでしまった生徒諸君へ 宿題です。 「次回まで
-
-
プロフィールを見直す
あるところのプロフィール欄に自己紹介を書く必要があり、 以下のようにした。 --------
PREV :
『「未曽有の体験」には、「同じ未曽有の体験」がないといけない』か
NEXT :
「ロボット・プログラミング」は単なる手段


