「教育」を実験してもいいじゃないか
公開日:
:
最終更新日:2016/06/03
et cetera-opinion
> 教育はもつとも実験室化してはならぬものでありながら、もつとも実験室化しやすいもの
> 福田恆存
(選・鷲田清一)
折々のことば より
教育は「実験室」というか、
サービスを受ける人たちは、圧力団体になれず政治と交渉できないし、
その学年は、その1年間しかいられない。
それに学校でカリキュラムは、「同じ内容」には2度と出会わない。
だから、どうしても
実験室の中の実験動物になってしまう。
でも、「教育力の向上」のためには、
それ以外の点では「実験室」でもいいんじゃないのかな、と思う。
だって、「試行錯誤」「チャレンジ」は誰にとっても必要なもの。
先生にとっても、行政を決める人たちにとっても。
学生に
「受け身でいて、
被害者意識を持つ暇があったら、
考えて行動しろ」
というメッセージを出せばいいだけじゃないか、と思う。
「実験」がダメだったら、
先生の渾身の工夫の塊「研究授業」などできない。
「ゆとり世代・ゆとり教育」と揶揄されがちだが、
教育はけっして悪くなかったと思うけどね。
もっとも、その中の核
「学ぶとはこういうこと」
が、学んだ人たちに伝わりきっていないように思われるのが残念ではある。
~~~~~~~
ただ、「教育」という名の、
個人の、学ぶ生徒一人一人が主語でない、
「国は」といった、『国の目的』に沿った教育方針で行う
「刷り込み」
「枠はめ」
「規格化」
は、止めてほしい。
と切に思う。
愛されたかったら、愛されるようになればよい。
「我慢する」のではなく、
「自然体で」
「相手に応じて」
「相手を尊重して」
国を作っていったら、
誰からも愛されるのではないか?
力の強さは関係なく、
「自分を信じる心」の強さがあればいい。
そのためには、
「相手を変えようとする」のではなく、
「自分の姿を自覚し」
「ありのままの姿を、自分で愛する」
ことじゃないか?
「人」も「国」も同じだね。
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