あなたが、わたしに対して反対意見を言うことの権利は命がけで守る
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et cetera-opinion
普段は、ネガティブな感情の礫については触れていません。
自分の情けない状況や感情は、「こんな人もいるのであれば、私は全然大丈夫」と感じていただくためにも、 “私(Yoshi:わかさま)” のことですから、私の責任で公開しています。
ですから、今回はチャレンジです。
今回は、不信感の塊のような考え方に触れ、それに思わず反応して書いています。
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ラジオを聴いていて、
「自分らしく」
「多様性を認め合う社会」
という発想を吹き飛ばす、今を生きる日本人の底辺に流れる感情があることに改めて気づきました。
こんな感情があるのであれば、上記の考え方なんて、『あまちゃんだ』と鼻で笑われて終わりです。
その実例を書かないとわからないですね。
では早速。
このようなことがあったのです。
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今日、ラジオを聴いていた時のこと。
視聴者からのメールが届いたそうな。
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なぜ、あなたは公共の電波を使って、パーソナリティといった地位を利用して、偏ったことを述べるのですか?
そして、それに反対の意見を寄せる場合に、住所、氏名などを明記するように強制するのは、どのような意図があるのですか?
それを使って、何をしようというのですか?
どうせ、このような意見は、あなたは読みもしないし、取り上げられることもないのでしょうけれど。
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そのメールには、氏名、住所などが書かれていたそうです。
もちろん、放送では、ラジオネームで紹介されていました。
そのパーソナリティも、
「反対意見を寄せてくださるのは、大変ありがたいことですし、そういう人こそ守らないといけないと考えて、常にそのような対応をしています。
正しい住所、氏名を書いていただいた上で、ラジオネームがあればそれを。 ラジオネームが書かれていないときには、もちろん “京都の匿名さん” としてさせていただいています。
住所、氏名をお書きいただくようお願いしているのは、言いっ放しの意見ではなく、一人の人の責任を持った言葉として伺いたいのです。あなたも私も一人の人として向きあいたいのです」
と話されていました。
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あなたはどのようにお感じになりますか?
私の結論を先に述べます。
①自分と違う考え方に対して、すべて『偏っている』とラベル付けをする人が、いまだにいるのだな。
②ラジオのパーソナリティといったレベルの人に対しても、そのような不信、憎悪を感じる人がいるのだな。
③それは、「個人の考え方の多様性」を認めていないし、「多様性の中から創造する」という発想はこれっぽっちもない。
④その根本には、「正しいこと/間違ったこと」の対立する2つの考え方しかない。「間違った考えは、正さなければならない」「私は無力である」といった考え方もベースにある。
詳細に述べます。
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①自分と違う考え方は、すべて『偏っている』とラベル付けをするのだな。
この人は、まず「報道」と「主張」を区別していない。
メールを出した人と同じ発想をする人は、
「どうせ普段の報道でも、そんな偏った主張をしているのだろう」
という目で見ているのでしょう。
そして、こんな考え方です。
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「正しいこと」というたった一つのことがあり、もちろん、自分(メールを出した人)は正しいことに賛成の立場であると。
自分が正しいと思うのは、それが本当に正しいからで、多くの人も正しいと思っているからだ。
自分の主張と異なる主張は、『誤り』であり、それを主張する人は、『誤った主張を自分の権限を使って、民衆に刷り込もうとする油断ならない人である』。
そして、自分の、自分たちの意見は中道なので、それに反する意見は『偏っている』。
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②ラジオのパーソナリティといったレベルの人に対しても、そのような不信、憎悪を感じる人がいるのだな。
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『偏った考え方をする人』は、
反対意見を握りつぶし、
それを言った人を探し出して危害を加え、
自分の意見に賛同するまで押し付けてくる
のである
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、と思っているとしか考えられません。
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③それは、「個人の考え方の多様性」を認めていないし、「多様性の中から創造する」という発想はこれっぽっちもない。
おそらく、「それは理想」と言いながら、そんな社会にしようとはちっとも思っていないのでしょう。
「だって、自分は正しい」のだから、ほかの人の意見に合わせる必要はない、のでしょう。
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④その根本には、「正しいこと/間違ったこと」の対立する2つの考え方しかない。「間違った考えは、正さなければならない」「私は無力である」といった考え方もベースにある。
「私は無力だから、何をしてもかまわない。身元を明かさなくても、武器を使っても」
「正しいことは、正しいのだ」
「ほかの事例で、正しいことがいくつもある場合があるかもしれないが、これは、私の考えが正しいのだ」
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でも救いは、
「通じないかもしれないけれど、私の意見を伝えよう」
と思われている、ことです。
本当にそれが救いだな。
そして、この意見に対して、真正面から答えられていたパーソナリティにも希望を感じました。
でも、でもと、考えてしまいます。
「相手は、暴力的に言論を伝える」ものだ。
そんな社会だと思っているのは幸せですか?
そんな社会を作りたいのですか?
あなたは、そんな社会を作ってきたのですか?
私の責任じゃないなんて言わせませんよ。
では、あなたはどんな社会を作ってきましたか?
さらに考えます。
どうしたら、もっと信用しあえる社会ができるのでしょう?
どうしたら、反対意見を受け入れられる社会になるのでしょう?
「今の政治家が悪い」
と言ってしまったら、自分の可能性を閉じてしまうので、言いません。
誰のせいでもないんです。
すべて、私たちが作ってきたんだし、
私が作ってきたことなんです。
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一つ、可能性があるとしたら、この考え方を、まず自分が信じて実行することです。
そして、周りをこの世界に巻き込んでいくことです。
●「 “わたし” または “あなた” または “私とあなた” から、すべてが始まる、と知っている」
●「発言は義務ではなく、チャンスである。質問に答えることも同様である。
ただし、言うかどうかは個人の選択の問題だが、主張しない「個」は、社会において存在しないのと同じことである」
●「ある人の前提は、別の人にとっては別の価値観の押しつけである」
●「対話で表現することは、リスクを負うことである」
●「表現することは、人を傷つけたり、迷惑をかけたりするものである」
●「最初から結論を決めて向かうのではなく、違う価値観の人と語り合う中で相手も自分も新しい発想を出し合って結論を導くことである」
●「自分はそう思わないけれども、もし自分がその立場、そうするとしたら、どういう自分だろうか、を考えることである」
●「あなたの意見には反対だけれども、あなたが意見を表明することの権利は命がけで守る、という立場をとる」
(「対話する」「表現する」のスタート地点
https://views.core-infinity.jp/2013/11/preparedness/
より引用)
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