露悪的
公開日:
:
et cetera-life
常識を身につける小さな旅
http://yang-hua.hateblo.jp/entry/2016/09/28/235241
この記事を題材に。
といっても、記事そのものではなく、
この記事が「ライターの登竜門」となっているところで、
『文章が露悪的になってるところがある』
とアドバイスされていた。
(自由ポータルZ
2016年09月30日号
ご当地ソングの旅と常識を身につける旅
http://portal.nifty.com/cs/fpz/detail/160930197557/1.htm )
それで、
自分も陥りそうだなあ、と思ったので少し考えたのだった。
~~~~~~~
まず『露悪的』
ろ‐あく【露悪】
欠点や悪いところをわざとさらけ出すこと。「―趣味」
(デジタル大辞泉)
~~~~~~~
こういう視点で見直すと、
確かに自分の欠点を挙げている。
Blog記事に関係あること、ないこと、
結構なボリュームで書いてある。
パソコンで2回スクロールするくらいある。
もちろん、オチのために自分の身をさらすのは必要なこと。
でも、少し多いかなあ。
「笑われる」ではなくて「笑わせる」。
さらりと笑わせる
さじ加減が難しい。
『バカ』カテゴリーの記事なので、
どんどんディープになるのかも。
もし、継続して何度も訪問してもらって読んでもらう記事にしようと思ったら、
バカさ加減はサラリと書いて、
「どうせバカなことやるんだろうなあ」
「またバカやってるよ」
と思わせるよう、
「こんなことにチャレンジしてきました」
というのがいいのかも。
~~~~~~~
わざわざここで記事にしたのは、
リンク先のライターへの指導のためではなく、自分の書いたことの振返りのため。
(他人を指導するほど百戦錬磨の文章書きではないので・・・)
正直なところ、「難しい」。
例えば、セミナー講師として
カッコをつけて誰かになろうとしても、なりきれない。
そんな状態で発した言葉が、
相手に届くとはまったく思えない。
思えないものは届かない。
「上手にやる」
ということができない。
まず、自分がわかるかどうか。
そして、自分の中から出てきた言葉じゃなければ口から出せず、
実感を込めて語ることはできない。
欠点、悪いところといっても、
一見「近く見える内容」より、
「ほとんど無関係」と他人には見えてしまうものが、
「強力に関係する」ことはある。
だから余計なことを書きすぎてしまって、
「露悪的」と思われているかもしれない。
コーチという職業柄、受講者の理解が深まるのであれば関係することを「自己開示」に躊躇はない。
もっとも、その場の状況によって、
「何を」「どの程度」「どのように」したらよいか
力加減がわかっていない。
誰かに教えてもらうものではなく、
体感的につかむもの
と思うので、おそらくしばらくはこのままだろう。
ここで問題は、
解決策を何かをつかんだら、その課題への興味が急速に薄れてしまうこと。
ということは、「常に露悪的」ということか。
そのうちに、だいたいのことに共通する法則をつかむかもしれない。
それまでは現状のまま、おつきあいいただければと思う。
関連記事
-
-
「面倒くさい」と「やりきる」は別問題だよね
リンク先の記事と同じく、 「面倒くさい」 という生徒(ロボット教室)が多い。 中に
-
-
友達は増えているか?
> よく考えたら会社員時代は友達が一人も増えていなかったんですよ。 > 伊藤洋志 (折々のこと
-
-
すべてが物語にされる
> テクストの外などというものは存在しない > ジャック・デリダ (折々のことば 選・鷲田清一
-
-
「ずれているからうまくいく」
> ずれているからうまくいく > 細馬宏通 (折々のことば 選・鷲田清一) 一方的で型通
-
-
「受験数学」と「大学数学(または数学研究)」の違いは大きい
哲学な日々 考えさせない時代に抗し 野矢 茂樹 より。 ~~~~~~ (森毅先
-
-
ロボット教室の生徒諸君。
ロボット教室の生徒諸君。 君ならできる。 これは今やっていることの応用でできる。 ただし、
-
-
「冨久者有智 遠仁者疎道」
この寺院からではありませんが、「冨久者有智 遠仁者疎道」の色紙をいただきました。 フリガナ
-
-
デイタイム・ショート・コーチングの感想をいただきました。
デイタイム・ショート・コーチングの感想をいただきました。 (デイタイム・ショート・コーチン
PREV :
対立したときの会話が「対話」
NEXT :
学問になる前の感受性


