家族といえども自分以外の人を心配し続けるのは・・・
公開日:
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最終更新日:2016/09/26
et cetera-life
家族といえども自分以外の人を心配し続けるのは、本当の自分を生きることに責任を取らない言い訳であり、自分を痛め続ける行為です
— ウィリアム・レーネン (@williamrainen) 2016年9月18日
「家族といえども自分以外の人を心配し続ける」
のは、2つの問題があります。
・自分を心配しない
・他人の能力、意志を無視している
自分の人生に一所懸命であれば、
ほかの人のことを気にかけることはあっても、
ほかの人の目的も知らず、
現在の到達度も知らず、
本人が課題に思っていることも知らず、
本人の悩みの深さを知らず、
まるで自分が相手以上に心配している『暇』はない。
自分から見た相手の「心配なしの状況」を
ただ「心配し続ける」のは不毛だし、
自分の人生に対して、相手の人生に対して失礼だ。
まあ、それができないから、
「他人を心配し続けなければならない」という業苦・責め苦
を生きながらに受けなければならないのだ。
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