社会のできごとを反省する?誰かを吊し上げる?
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フィンランドで大量殺人があったときは、大反省会だった。自分たちの教育の何がわるかったのか、自分たちの国の制度の何がわるかったのか、自分たちの国の何がわるかったのか。日本では絶対そうならない。
— 柏崎玲央奈 (@miraiko) 2016年7月26日
日本では、個人の吊し上げになる?
それは、権限があるところとか、マスコミが、 「強い意見」に流されるからなんだけどね。
「間接民主主義だ」と言って、市民が直接かかわることを諦めさせ、責任感を薄めさせる仕組みも機能している。
「反省」に該当する英語を調べたところ、
「evaluation」:到達度を測る
「reflection」:熟考する
といった単語が出てきた。
日本語の「反省」のイメージとはずいぶん違う。
『(自分もしくは自分が所属する組織の失敗について、)
過去の自分の言動やあり方に間違いがなかったかどうかよく考えること』
といったように、日本語ではあくまでも「個人」。
日本と欧米では、どちらも
「責任」は個人が負うが、
・「責任を感じる対象の範囲」・・・責任があると感じる人の範囲
・「何に責任を持つか」・・・・結果か、失敗しないことか、誰かの怒りの矛先になることか
・「責任の取り方」
・「失敗の次にあること」・・・再チャレンジが可能か
でずいぶん違う。
多様な価値観があることを前提とした社会である分、欧米の方が生きやすいように感じる。
(でもおそらく、「多様な価値観が認められない時代」があったからこそ、今の社会があるのだろう)
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