教員の責任について考えてみる
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実験中に爆発2人けが、北海道 – 速報:@niftyニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2014061001002078/1.htm
このような記事を読むと、不思議な気持ちになります。
学生の実験に付き添っていなかった教員の責任のように読めます。
私の考える「監督責任」と、
記者の方、もしくは世間が考える「監督責任」はずいぶん違うように感じます。
私は「研究」をこのように考えます。
●教員がその場に居ても居なくても、基本的には学生自身の責任
●学生は、「どのようにしたら安全か」「どのようにしたら危険か」を事前に検討していないといけない
●教員は、上記のことを研究室に入るまでに講義の中で伝えなければならない
●教員は、研究計画を学生から相談を受け、事前に知っておかなければならない
●研究とは、「結果のわからないものを確認する」ことなので、100%確実な方法はない。
ですから、教員が学生に接する際には、
●学生の責任を明確にしつつ、学生の意思や創造力を認めること。
●その一方で、実験前、実験中、実験後の安全について、学生も教員もともに責任を取れるだけ十分に伝えること。
(薬品の廃棄処理や危険生物などは、最後の処理まで考えておく必要があります)
かな、と思います。
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これって、「上司として」「親として」「コーチとして」と考えても同じです。
教官としてやることをやったら、あとは学生を尊重して、そしてしっかり観察することが大事で、
『失敗しないように』
って先回りしたり、考え方から行動まですべて安全で確実なことだけを決めてやらせることではありません。
手を焼きすぎると、本人は何も学べません。
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