東京造形大学 2013年度入学式 諏訪学長による式辞
公開日:
:
et cetera-opinion
もうすでにご存知かもしれません。
新聞に掲載され、この学長の入学式の式辞を知りました。
リンク先を掲載しますので、ぜひご覧ください。
『東京造形大学 2013年度入学式 諏訪学長による式辞
http://www.zokei.ac.jp/news/2013/001-1.html 』
私の眼に留まったのは、こんな文章でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この大学の卒業生である諏訪学長は、在学時代、無名の映画監督たちに混じり、その助監督をしていました。
そして、ふと大学に戻った時の話です。
授業に出ると、現場では必要とはされなかった、理論や哲学が、単に知識を増やすためにあるのではなく、自分が自分で考えること、つまり人間の自由を追求する営みであることも、おぼろげに理解できました。驚きでした。大学では、私が現場では出会わなかった何かが蠢いていました。
私は、自分が「経験」という牢屋に閉じ込められていたことを理解しました。
「経験という牢屋」とは何でしょう?
私が仕事の現場の経験によって身につけた能力は、仕事の作法のようなものでしかありません。その作法が有効に機能しているシステムにおいては、能力を発揮しますが、誰も経験したことがない事態に出会った時には、それは何の役にも立たないものです。しかし、クリエイションというのは、まだ誰も経験したことのない跳躍を必要とします。それはある種「賭け」のようなものです。失敗するかもしれない実験です。それは「探究」といってもよいでしょう。その探究が、一体何の役に立つのか分からなくても、大学においてはまだだれも知らない価値を探究する自由が与えられています。そのような飛躍は、経験では得られないのです。それは「知」インテリジェンスによって可能となることが、今は分かります。
(上記サイトより引用)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「経験」「実践」が第一、という風潮があります。
それ自身間違いではないでしょう。
けれど、「経験という牢屋」に入ってしまうこともあるのです。
「自分が自分で考える」
「人間の自由を探求する」
「まだ誰も知らない価値を探求する自由」
「クリエイション(=創造)は、「知」インテリジェンスによって可能になる」
そう、経験だけがすべてではないですよ。
経験を「知」で見直すことで、「創造」することができるのです。
これは、大学で研究するときにだけ関係あることじゃなく、
「人間としての自由を獲得する」
時に必要なことだと思うな。
関連記事
-
アカウンタブル(主体性)な行動とそうでない感情が同居可能
昨日、京都チャプターの仲間との雑談の中で。 ~~~~~~~~~ (そのメンバーの話) アメ
-
男女平等に気付くには?
Freedom, Liberty, Equality and Justice / 17708700
-
「笑い」で何を笑っているかを見ると、私たちのレベルがわかる
春菜の芸を見ても笑わなかったアリアナが、CM中に伝えた言葉に考えさせられる - Spotlight
-
「はだしのゲン」の学校図書館(松江市)での閉架に関する情報整理
「はだしのゲン」の学校図書館(松江市)での閉架に関する情報整理 記事 http://ne
-
Web記事「別れのコーチング」「密室性」「対人性」
コーチングの「スキル」ではない「暗黙の了解」の話。 クライアント獲得につながらないコーチングの話題
-
「ロボット教室基金」の枠は作れる
> 破れてなかみのなくなった畳が畳であり、菜のない食事が食事であり、玩具のない遊戯が遊戯である。
-
自分自身に振返って考えると面白くなる講義
昨日の研修で、「先生は、受講生が少ないときは、生き生きとしてますね。ニコニコとされています。」とフ
-
これからの僕のテーマ「夢をかなえる技術を伝えることと環境づくり」
新年あけましておめでとうございますhttp://views.core-infinity.jp/201
-
「一般的な犬」とは?
哲学な日々 考えさせない時代に抗し 野矢 茂樹 より。 本書の中に、
PREV :
「効率化」、「創造」、そして「多様性」
NEXT :
「商売指南書 新井流」1回目読了